Dec,2006.

〔予告〕11.05.22 05:30
これは未だ語られていなかった
鳶職時代の思い出話。

鳶職となり最初の仕事(現場)は
自宅から自動車で1時間以上離れたところにある
某駅付近の
老朽化した2階建てのコンクリート仕様の建築物。
この解体作業が俺の初仕事でした。

2006年12月某日の早朝、
現場付近にある
某大型パチンコ店の駐車場にて
待つようにと言われ、待っていました。
しかし、なぜか
その近くに在る某コンビニの駐車場で待つように
との連絡が急遽入り場所を移し待っていると
建設作業員と思わしき人物が現れ
その人物の車に同乗させて頂き
現場へと向かいました。


現場では新米ですから、
解体時のガレキ等を片付けたり
道具とか持ってこいと言われたら運んできたり
雑用に徹していました。
休憩時にはお金を渡されて
現場の皆さんの分の飲料を買ってきたりと
仕事内容は雑用&パシリでしたね。


あの現場では主に丸太が使われていた。
解体する建築物を囲うのは
鉄製の足場を使う事が多いのですが
低い建築物の解体では
丸太とバンセン(という名前だったような)
という針金のようなものを使い
建築物を囲うところも中にはあるそうです。


お昼は近くの某スーパーマーケットで
現場の方数人に連れられお弁当を買い
夕方頃に数トン規模のトラックに
解体時に使った丸太を乗せ、勤務終了。

無事に初仕事を終えました。


これは以前話したか定かではありませんが
最初は土木作業員と知らされて
勤め始めたんですよね。
求人情報にも土木作業員と記されていましたから
初仕事の時も俺は自分が鳶職ではなく
土木作業員だと思っていました。

気付いたのはそれから3ヶ月後に
現場でお会いした方との会話中です。
3ヶ月というのは遅いだろうと思いますが
その間に俺は怪我で入院したりしていましたからね。

ただ、俺は鳶職だという事実を知っても
なんとも思いませんでしたね。
へぇ、と思うくらい。

次の日からは更に遠くの現場で働く事になりまして
夜に帰宅することが多くなりましたね。

某学校に在る
老朽化した校舎らしき建築物の
解体前の足場作り(後日、解体後に
足場を崩す作業もありましたがね)、
改修工事か何かの予定がある
建設物(おそらくあれは公共施設)の足場作り。
建設中のとある高速道路の
足場作りもありました。
高速道路のところは一度だけでしたがね。


そして、比較的山奥にある小さな温泉街の
老朽化したある宿泊施設の解体前の足場作り。

あれは印象深い現場でしたね。
怪我で入院する原因となった場所でもあります。

そこで何が起きたかは
気が向いたら話すとしましょう